サイアムのルーシーダットン上級コース履修
2009年 05月 05日
2007/7月中にタイ入り、プーケットを旅した後、
8月にはバンコクに入りました。
サイアムのルーシーダットン上級コースには
私を含めて4名が受講。東京から3名、島根から1名。
現在もセラピストとして活躍している意欲的な人が多かったのです。
上級コースの内容は「セルフヒーリングとしてのルーシーダットン」について
丁寧に説明してあり、とても優れモノだった・・と思います。
聞けばティウ先生の恩師レック先生(雲南省昆明出身でタイ古式医療界の長老的存在)が
内容の編纂に関わったとか。
毎日わくわくしながら過ごしました。
東京であれだけ悩まされた体調不良もなぜか治まっていました。
講座終了後はサイアムの公認インストラクター認定試験を受けることも出来るそうです。
当然ティウ先生が試験官なのかな・・と思い訊ねてみると。。。。
「試験には立ち会うけども自分には採点の権限はない。
認定するのは日本人担当者。」
・・・・と、何とも驚くべき回答が返ってきました。
サイアムは実質的には日本人経営だったので当然と言えば当然なのですけども。
実はタイ舞踊を習っていた時期に(2003年11月)タイ舞踊の技能認定試験を受けた事があります。
タイ国文部省芸術局と日本の団体との共催の試験であり、
試験のときはタイ国から3名の先生が来日、採点は日本人の先生が1名加わり
4名体制で採点していた記憶があります。
その際に認定証は獲得したものの世間的には「だからどうした」的な価値しかなく
団体系列が主宰する通常レッスンに参加すると
「ひまぱ~んさんは認定証持ってるんだからレッスン中は初心者にもっと教えてあげないと・・」
・・・私はとても狭量だったので「同じ料金払ってるのに!」・・と甚く腹が立った記憶があります。
タイの省庁、タイでもそれなりの権威ある先生方が関わった認定試験でさえそうなのだから
これは試験を受ける意味はないのでは?
咄嗟にそんな計算が働き、認定試験は受けないことにしてしまいました。
日本の知人には「せっかくタイまで行って何てもったいない・・」と揶揄されましたが(苦笑)
当時はサイアムもティウ先生に続くルーシーダットンの
タイ人インストラクターを養成しようとかなり必死だったようでした。
はじめからノンタブリーの保健省付属のスクールや
パトゥンタニのThai Traditional Medical Services Societyの修了生を採用すれば
ある意味で簡単で確実だったのかもしれませんが、
サイアム独自に日本人向けに特化したタイ人インストラクターを育成する方針だったようです。
結果的にティウ先生はサイアムと先生自身との方向性の違いを認識するようになっていました。
講習終了時にはティウ先生を日本式居酒屋「いもや」にご招待。
(講習を受けると「修了証」は頂けるのです。)
その席でティウ先生は自分で教室持ちたいという夢を語ってましたっけ。。
いつ実現するかはわからないけど夢を持つのは大切・・とその時は思ってました。
結局はそれから3か月も経たないうちにバンコクを再訪することになってしまったのですが。
8月にはバンコクに入りました。
サイアムのルーシーダットン上級コースには
私を含めて4名が受講。東京から3名、島根から1名。
現在もセラピストとして活躍している意欲的な人が多かったのです。
上級コースの内容は「セルフヒーリングとしてのルーシーダットン」について
丁寧に説明してあり、とても優れモノだった・・と思います。
聞けばティウ先生の恩師レック先生(雲南省昆明出身でタイ古式医療界の長老的存在)が
内容の編纂に関わったとか。
毎日わくわくしながら過ごしました。
東京であれだけ悩まされた体調不良もなぜか治まっていました。
講座終了後はサイアムの公認インストラクター認定試験を受けることも出来るそうです。
当然ティウ先生が試験官なのかな・・と思い訊ねてみると。。。。
「試験には立ち会うけども自分には採点の権限はない。
認定するのは日本人担当者。」
・・・・と、何とも驚くべき回答が返ってきました。
サイアムは実質的には日本人経営だったので当然と言えば当然なのですけども。
実はタイ舞踊を習っていた時期に(2003年11月)タイ舞踊の技能認定試験を受けた事があります。
タイ国文部省芸術局と日本の団体との共催の試験であり、
試験のときはタイ国から3名の先生が来日、採点は日本人の先生が1名加わり
4名体制で採点していた記憶があります。
その際に認定証は獲得したものの世間的には「だからどうした」的な価値しかなく
団体系列が主宰する通常レッスンに参加すると
「ひまぱ~んさんは認定証持ってるんだからレッスン中は初心者にもっと教えてあげないと・・」
・・・私はとても狭量だったので「同じ料金払ってるのに!」・・と甚く腹が立った記憶があります。
タイの省庁、タイでもそれなりの権威ある先生方が関わった認定試験でさえそうなのだから
これは試験を受ける意味はないのでは?
咄嗟にそんな計算が働き、認定試験は受けないことにしてしまいました。
日本の知人には「せっかくタイまで行って何てもったいない・・」と揶揄されましたが(苦笑)
当時はサイアムもティウ先生に続くルーシーダットンの
タイ人インストラクターを養成しようとかなり必死だったようでした。
はじめからノンタブリーの保健省付属のスクールや
パトゥンタニのThai Traditional Medical Services Societyの修了生を採用すれば
ある意味で簡単で確実だったのかもしれませんが、
サイアム独自に日本人向けに特化したタイ人インストラクターを育成する方針だったようです。
結果的にティウ先生はサイアムと先生自身との方向性の違いを認識するようになっていました。
講習終了時にはティウ先生を日本式居酒屋「いもや」にご招待。
(講習を受けると「修了証」は頂けるのです。)
その席でティウ先生は自分で教室持ちたいという夢を語ってましたっけ。。
いつ実現するかはわからないけど夢を持つのは大切・・とその時は思ってました。
結局はそれから3か月も経たないうちにバンコクを再訪することになってしまったのですが。
by rusiedatton
| 2009-05-05 18:57
| 回想録